「映画『靖国 YASUKUNI』公式サイト」。
上映を巡って騒ぎになったこの映画。ともあれ、観て来ました。
観に行ったのは、大阪・十三(じゅうそう)の「第七藝術劇場」。
しかし、問題は上映が11:55でおしまい。17日からもう1本遅い部もありますが、さてどうするか。
5月11日、朝。寝過ごしたら来週でいいやと思いつつ、目覚めたのは朝8時。………微妙。猛烈に眠いですが、せっかくだから今日行っておこうかと出発。
………急行乗り過ごしました。仕方がない、物いりですが特急で……。
ZZZZZZZ………。
と、近鉄でうとうとしている間に難波へ。
十三へは、地下鉄御堂筋線で梅田へ行き、そこから阪急線で行くのが確実です。
しかし、出来れば映画のあと、日本橋に寄りたいと考えていたので、少しでも金をけちりたい。ちょっと考えれば無意味に近い行動でしたが、地下鉄梅田駅の一つ向こう、中津駅で下車し徒歩。一応、これで160円浮くはずです。
道を聞きながら十三へ。阪急中津駅前に着き(地下鉄とやや距離がある)、そこから北上……と思いきや、西の道にそれてしまい慌てて引き返し、淀川を渡ると十三。
時計を見たら上映15分前。地下鉄中津下車から30分以上が経っていました。これはヤバイ、と思うとすぐ地図にあった目印の吉野家(サイトでは吉野屋と誤植)が見えて来ました。
映画館は雑居ビルの一角にありました。
右翼の街宣車で物々しい雰囲気じゃないだろうなというのは杞憂で、ただ客誘導の方が何人も客を捌いていました。
そして、徒歩を選んで後悔したのが立ち見になると告げられた時。素直に阪急に乗っていればよかった。96席(立ち見込み140人)では、満員になるのは当たり前です。
急遽、プロジェクターを使った簡易上映も合わせて行うので、それなら座れると云う事でしたが……。
料金が通常通り(1800円)というのはちょっと癪でしたが、仕方ありません。
さて、700円とこれまた高めのパンフレットを買って場内へ。普段は宴会場か、イベント会場といった趣の場所です。プロジェクターなので、会場の中央を歩かないようにという注意のあと、いきなり本編(普通に観た場合は予告編も観られた)。
買って来た笹の葉寿司を食べながら、映画の始まり。パンフレットの年表に、「明治天皇崩御《天皇死去の時には《崩御》という特別な用語を用いる》」とあるのを見て、なるほど、外国人監督(中国人の李纓氏)ならこういう表現の注を付けるのかな、と考えていたりしました。
映画は、「靖国刀」と呼ばれる軍刀の最後の鍛冶である刈谷直治氏のインタビューと、8月15日の靖国神社の情景を交互に映し出して行きました。「靖国刀」こそ靖国神社のご神体であると、映画はいいます。
キャプションも、ナレーションも無いので、よく耳をそばだてていないと聞き漏らす緊張感がありました。
靖国神社に集まる、軍服姿の参拝者達。小泉首相(当時)の靖国参拝支持を唱え、星条旗を掲げてやって来たアメリカ人が、日の丸を掲げろと喧嘩をふっかけられる場面。靖国神社合祀への賛否の声。
2005年8月15日に開かれた推進派の集会。石原慎太郎氏の演説の後、会場に闖入し、袋叩きにされ「中国人帰れ!」としつこく罵られた青年(中国人ではない、と取材にこたえている)。
そして日中戦争、南京大虐殺、第二次世界大戦での日本の敗北。
靖国神社や、南京大虐殺は虚構とする人たちにとって、面白くない内容なのは事実でしょう。南京大虐殺の写真(南京のものではない、と指摘された写真はありますが)パンフレットの記述も、そうした思想に批判的な立場を取っている事は明らかですから。また、監督が中国人である事も、彼等の神経を大いに逆撫でした事は想像が付きます。
しかも、パンフレットに拠れば、中村高寛助監督は、別の取材で中国人の張雲暉氏(本映画のプロデューサー)に「百人斬り訴訟(戦中、中国兵の百人斬り競争が戦意高揚記事になり、戦後当事者2人は戦犯に問われ処刑された。遺族らが百人斬りは虚構として起こした訴訟)」の取材手伝いを頼まれた事がありました。しかし、原告、被告の集会を撮影して帰ろうとしたところ、原告側の集会で「お前、中国人の片棒を担いで、日本人として恥ずかしくないのか」と吊し上げられ、テープを全て没収されたといいます。
また、ご神体については、「神剣」と「神鏡」であると靖国側から反論されています。
しかし、この映画は偏向と派手に騒がれるようなものではありません。
もちろん完全な中立というのはあり得ませんが、この映画は自分の立場を示しつつ、非常に丁寧に取材しています。
例えば、キャプションで刈谷氏や、靖国で演説する参拝者などをこき下ろそうとするのは簡単です。ナレーションで、もっともらしい解説を付けるのも簡単です。しかし本作は、そういう安直な手は使っていません。
土井敏邦氏が指摘していましたが、一歩間違えば自分も袋叩きにされかねない、靖国はそういう危険な取材でした。そういう場所で、このような冷静さを保てた事は凄いと思います。
同じく土井氏の「日々の雑感 73 ドキュメンタリー映画「靖国」を観て(2) 2008年2月9日(金)」で、土井氏は「もし私が、あの監督の立場なら、私は“侵略戦争で多くの犠牲を強いられた中国の一国民”としての感情が先に立ち、糾弾調の問いかけをしたにちがいない。」と書いていました。
確かにその通りです。土井氏とは逆に、大東亜戦争は聖戦だという立場の人であっても、取材の機会があればついつい感情移入してしまうのではないでしょうか(中村氏に見せた、中国人への激しい敵意など)。ついそれは違う、と突っ込みたくなるものです。
正直、私も取材する側に立ったら、李監督のような冷静さは保てないと思います。カットされた部分では何かがあったかも知れません。
しかし、この抑えたやり方が、8月の靖国の暑苦しい雰囲気をよく伝える事に成功したと思います。
だからこれは、暑苦しい雰囲気を、まずはじっくり味わうべき映画だと思います。むかつく発言も、取り敢えず最後まで聴く。それが出来る映画です。
逆に、糾弾調の内容を期待すると、損をします。ナレーションやキャプションに頼らず、耳をそばだてて考えてみる人にお勧めです。
その後閉店間近のくいだおれで遅い昼食を摂り、日本橋に行きましたが、このあたりは暇があれば。
最後に、私が靖国神社に参拝に行った時の話。
作中では喧噪が響き渡っていた靖国ですが、あれは8月15日の出来事。私が参拝に行ったのは2002年、コミックマーケットの帰りでした。
2002年8月12日、平日。
そこは、神社らしからぬだだっ広い直線の参道。軍服姿の参拝者が僅かに来ていましたが、本当に静かでした。
管理人 上野 良樹
2008年5月16日